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「自分萌えに浪費していた女」 にグッド・バイ

これまでのあらすじ(?)
あなたなしで生きてゆきたい
レット・バトラーは現れないので。
あなたのことはそれほどから始まる自分の半生大反省会
○○で浪費していた女





世界中で一番好きで、ずっとずっと好きだった人と









絶縁しました。





長らく私にお付き合いくださっている方にはおなじみの「私の男」の話です。
LINEもTwittermixiAmebainstagramもFBも全部ブロックして、いま大変に清々しい気持ち。
列挙してみて思ったけど、なんぼなんでもありとあらゆる手段で繋がりすぎだろう私。必死か。笑
これだけの手段をすべて断ったところで共通の知人が多すぎるので、どこかしらでお互いの近況は知ってしまえるけれど、そういう風の便り以外で彼のことを知ることをもう全てやめようと思ってここまで大胆に全カットした。
(その割に彼の実姉であるアッネとは相変わらず毎日のようにLINEしている…なぜならアッネのことがJCの頃から好きだから…これは百合だよ)

詳しい経緯やなにやは誰得情報でもないので書きません。
じゃあ今から何を書こうかというと、「終わらせ方」について。


自分の歴史を紐解いていちいちを語ってみるとしたら、彼の存在は消しようがない。
恋愛以外の思い出の殆どにもガッチリ絡んでいるので、いつからか綺麗な終わりはどうしたら迎えられるんだろうと考えるようになっていた。
数年前にめんどくさい人間関係が整理されたおかげでまた連絡を取れるようになって、その辺りで、「この恋の終着点はどこにもないから、ただ楽しいことだけして前進も後退もしないようにしよう」と心がけて動くようにしていた。
今にして思えば、再度連絡を取るようになったときにはもう「恋」は感情としてはすっかり終わっていて、思い出や青春を綺麗に保存するために終わっていないふりをしていたんだと思う。
「思い出したくない記憶」にして終わらせたくないという気持ちがこの5年くらいはあったのだ。
好きなままの部分もあったけれど、昔は見えなかった良くない部分だとか、単純に生きている世界がすごくかけ離れていることとか、そういうところの方がよくよく目についた。
その差の原因にはきっと育った環境の差、地方格差、職能の差、男女の差なんてものが大いに影響しているから、私と彼のどちらが正しいというものでもない。何が悪かったかはっきり言うとすれば、お互いの立っている場所はそもそも出会った頃から違ったのに、たまたまあの頃一緒にいたからという理由で同一視していたせいだ。それはお互い。
30を越えてから、現在進行形の趣味の友達を除くと、話が合うのは大体同じくらいの生活水準・文化圏の子だなと思うことが多いので、これもその一部なんだろうなとは思う。
たとえば、当時ものすごく仲が良かった子でも、10年以上フリーターで職を転々、というライフスタイルを続けている子とは思い出話でしか盛り上がれなくなってきた。良い悪いではなくて(彼女はそのライフスタイルに利があってしているので)、単純に違う世界に住む者なのだなという実感を得るときがある。それを同じことだと私は感じていた。
私たち、当人同士はそれをあまり上手く感じ取れていなかったけれど、周囲はだいぶ前から気付いていたのだろうと振り返れば思う。
特に彼のお姉ちゃんなんかは、よくよく分かった上でうまく間に入ってくれていたと思う。

とはいえ一過性の遊びごとのときにはただ昔のバカみたいな子どもで居られて楽しくて、狂ったようにハイローを見に行ったり、バイクで2ケツしたり、何故か一緒に三代目の東京Dに行ったのはめちゃめちゃ楽しかったし最高のボーナスタイムだったけれど、お酒を飲む場で語る人生や生活の話は聞けば聞くほど彼のことが嫌いになっていった。いい年齢になったのにあまりにも子どもっぽいアホすぎて(笑)。
彼を嫌いになると、自分の青春すべてが「ムダ」で「後悔だらけ」になってしまう気がして、どう幕引きすれば上手く心の整理がつくかをずっと慎重に考えていた。
「恋」を終わらせることは案外難しい。「恋愛」を終わらせることは別離を選べばいいけれど、「恋」は結びついていないからその終わりを望めない。自分で終わらせるしかない。当たって砕けるか、思いを断つか。

私は、私が彼を好きで追い掛け回していた眩しい季節の思い出が本当に大好きだ。
他のことではなくあの青春を選んだ自分の人生を最高だと思っている。私の人生で一番のかけがえのない宝物だと思っている。
だからこそ、あの日々を無益なものだったと後悔する終着点は迎えたくなかった。

結果として、今回の引き金になったのは「彼は成長ルートを完全に間違っていて、あの頃の彼とはもはや別人である」と言って差し支えのない事実が判ったからだった。
捏ね回した屁理屈だけれど、私が好きだった彼はあの頃確かに存在していて、けれど2018年現在には存在しないと解釈することで、私は大好きだったあの人もあの時間もあの思いでも全部失ったり後悔したりせずに済んだ。と、自分では思っている。
あの頃「俺はああいうのは絶対ダメだと思う。人間のクズだろ」と言い切っていたことを、今の彼はしている。何が悪いの?と言って。
私はそれが許せなかった。
やっていいことでないことは、マトモな倫理観を持った社会人なら誰しも知っていることだからだ。
我々の世代のヤンキー寄りの人間の倫理観のヤバさ・ガバガバさはなかなかだけれど、とはいえそれなりに「やっていいこと」とそうでないことの線引きが出来ているところが彼を好きな理由、いや、嫌いになれない理由のひとつだったので、それすら失われたことに失望した。

好きな理由はひとつ減ってもそれほど大きな影響は与えないと私は思う。
けれど、嫌いになれないひとつ理由が減ると、ファンは相手のことをすぐに嫌いになれてしまえると思った。実感として。
今まで好きだったけれど降りてしまった自担だとかジャンルだとかで考えてみても、そうだったような気がするから、好きなものの「嫌いになれない理由」が減ることは、怖いなと思った。

かくして私は、ファンであることを辞めて、恋であった感情も滅して、でも楽しかった思い出だけ持って、しれっと消えることに成功した(と自分では思っている)。
長いオタク生活、どうしても綺麗に昇華して終わりたかったので、この幕引きには自分としては大変に満足をしているし後悔はない。あるのは喪失感だけだ。
「終わりよければすべて良し」と言うように、終わらせ方には注意が必要だと自分で思った。
私は下世話な人間なので、担降りブログを読むのが大好きなのだがw、人によって上手に終わらせて担降りブログを書く人と、上手く終わらせられなかったから最後の呪詛として書く人とがいて、興味深いなと思っている。
これも人それぞれで良し悪しは他人がとやかくいうことではないし、どちらも人間の偽りない感情の発露なので、そのままでいいと私は思うけれど、この今の私の清々しい気分ときたらもう何ともいえない恍惚感すら伴っているので、「そろそろやめようかな」と思ってキッカケを探している人は、ベストエンディングに向けて終活をするのもありかなと思った。
何かすごく前向きで私は元気です!恋も趣味も終わったのに超元気!いきいきしてる!でもきっとこれ以上の恋も趣味もないだろうと思うから、青春の任期は満了したんだなという寂寥はある。
私は結婚とか出産とかにも興味が無いので、これから先はその時々で楽しいことをしていくだけで特に何もなさそうだなというのもあって、ちょっぴり寂しい。
でも、終わらせ方が自分の中でうまくいったので、思い出は永遠にきれいなまま楽しいままで、取り出して眺めることにも一切のマイナスの感情がないから、時々思い出してあの頃楽しかったなと思える。
多分それが一番私が欲しくなった結論だったのだと思う。
ここ何人かの向こうの態度の変わりようから察するに、私は彼の何かにでもなろうと思えばなれたかもしれない。けれど、私が選んだのは、大好きだった過去の自分を綺麗に保存することだった。
いろいろあったけど、こういう終わり方を選んで本当に良かった。
たとえばこれが恋愛になったりその先に家族にでもなったら、きっと私たちは死ぬほど合わないから、全部が憎しみに塗り替えられて終わっていたと思う。そこにはやたらと自信がある!たぶん刃傷沙汰とかになる!w

何かのオタクをやめるとき、いかに健全な思いのままでやめるかは、憎しみや怒りが原動力になりがちな私だからこそ大切にしなければならないことだと思う。
うまく終われるかどうかは結局は自分の心の持ちようだけだけれど、終わりよければ全て良しという言葉のとおり、ちゃんと終わると無理をしなくても前向きになれるような気がする。
私は自分を前向きになるようにセットすることが苦手なので、そういう意味でも落ちることなく幕が引けたことは良かったと思う。
傷ついて大人になるんだみたいなことももう愉しめない。体力が無くて。笑

というわけで自分としてはかなり納得感と達成感を持って担降り(と称する文化はないけど)したものの、それでもやっぱりいま自分に一番刺さる音楽がSPEEDや昔の松任谷由美だったりするので、なんとなくの失恋モードではあるのでしょう。笑

昔からSPEEDのこの曲が好きで、まさに自分たちのための歌だなあと常々思っていたんだけど、今回の件でようやくこの世界観から真の意味で脱したような気がする。
不可逆で戻れない青春の日々ごと全部綺麗に終わった感じ。
SPEED Back to the Street -リトルワールドへの想い-

良い事も悪いこともいっぱいあって泣いたり怒ったり超忙しかったけど、楽しかったし満足した!
これぞまさにグッド・バイだと思う。
何にも怖いものなんてなかった私にさようなら。
私が忘れないのと同じくらい、あなたも私を忘れませんように。
きっと、最期のときまでいっとう大切な思い出であり続けることでしょう。

明日はきっと、あなたがいないこの都会のことをもう少しだけ好きになれる。