ぱられるぱられるルルルルルー

プリンセスたちを応援しています

1789-バスティーユの恋人たち-


たいそう久方ぶりに月組さんを観てきました~。
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いやあなんかもはや懐かしかった…そうそうこれですよね月組!っていう独特の感じ。

さて。とりとめもなく感想をつらつらと。

幕が開いてすぐに「あっこれみりちゃまトップの組じゃ無理なやつだ…ってなるよ」っていう予言をされていたので何かと思ったら壁登りのことだった。
…うん、無理だと思う。
Remember ロミオのバルコニー登り。
真咲さんは本当に運動会で活躍する中学生男子みたいな体捌きだよね…走るの速そう。

私の一発芸のひとつにまさきオスカルのモノマネっていうのがあるんですけど、それと同じ感じのいつものセリフ回しだったので、良く言えば悲壮感が強過ぎない、悪く言えば明る過ぎるっていう不思議な主人公像に感じたかなあ。カズヤのドリボが足りないっていうか。
真咲さんがどうこうっていう以前に、ロナンっていう人間の描き方の問題なんだろうけど、徹頭徹尾「おれは大海の藻屑でしかないけど!」が強過ぎて、印刷所での新参者だけどみんなに慕われてるっていう長所があんまり活かせてなかった気がする。
帝劇版ではもうちょっとロナンのパーソナリティの掘り下げがあるのかなー?

ちゃぴトワネットは言うことなしの天才的な仕上がりだった。150点あげたい。
だんだんと変わっていく内面が表情で良く伝わってきたし、歌も圧巻だった。
衣装もすごくて、ちゃぴが出てくるたびに釘付けになっちゃったね。
今までのアントワネット像とはまたちょっと違う感じで新鮮だったし、政治の話してるときのつまんないつまんないつまんなーーーーいみたいな顔も大変かわいかったです。
あと、これまでのアントワネットよりも母性が強い印象があった。
子供たちが役として出てくるからなのかな~。
ところでスカピンでは生き残ったルイ・シャルルだったちゃぴがいまやその母になったのね…胸熱。
ありちゃんのフェルゼンはちょっと幼い印象が強くてフェルマリ萌えは正直しなかったんだけど、ああいうフェルゼンを好きなマリーちゃんっていうのは新しい感じがして、世のアントワネット像よりずっと子どもで強めで聞かん坊な感じのちゃぴトワネットなら然もありなんという感じはしたかな。

アルトワ伯のみやるりちゃんはとにかく事前情報として聞いていた「性的に不能」に違いない」のイメージが強過ぎて、出てくるたびに「…不能の人だ……不能…あんな顔して不能…」って思い続けていた。つらかった笑
アルトワ伯はSchwarz Stainにいそうでたまらないビジュアルをしていた。
相変わらずみやるりちゃんは華奢だな~折れそうだな~と思っていたけど、前よりお歌も演技も良くなったような???
なんとなく前よりも華があるなあとぼんやり思った次第です。
なぎなさんは、おもむろにパレ・ロワイヤルの木に手を突っ込んだときは気が狂ったかと思いましたが小道具が画されてただけでした。チャンチャン♪
今回だけに関していえば、実質2番手の役なのはこっちなのかな~って思ってたけど番手狂わし階段見てたらもうどうでも良くなったね。
♪計画通りうまく運ぶわけはない~予定通りいかない番狂わせ おもしろ…くないよ!!!!別に!w

マギーさんは徹頭徹尾っょそぅだった。
絶対立ち向かいたくない。怖い。

特に目立つ場面があったわけじゃないけれど、トシさんは相変わらずのイケメンだった。
シトワイヤン側で唯一の目の保養だったァ…。
ボディーパーカッションのときロックオンしてずっと見てたんだけど、本当カッコよかったな~。きゅんきゅん。

そうそう、ボディーパーカッションといえば、たまきちの第一音がすげえってみやるりちゃんがカフェブレで言っていたとおり本当に凄みがあった。
で、お次の真咲さんが昨日は運悪くスカッてなっててOh my GOD……だった。
なんだろう重量感の違い?
個人的にはたまきちはロベスピエールみたいな坊ちゃんシトワイヤンじゃなくて、もっと生粋の貧乏から這い上がってきた人の方が似合う気がするんだよね。あの生命力強そうな感じが。
だからこそ月雲の皇子2幕は良かったなと思う。1幕は完全にちなつが主役だったけど。
着実に次期狙いなたまきちなので、さぞや実力もほども…って思っていたんだけれど、下級生のころから割りとオールマイティに高得点出せるタイプだったからか目に見えて成長したなあっていうのはあんまり見えなくって、うーん?と思った。

あーさちゃん世界一かわいいねぺろりんちょ。
秘密警察3人は可愛いし出番多いし面白いし癒しだしお得な役だった。
超かわいかった。
まじぺろぺろりんちょだったので、逆にラストの演出やショーのときのキリっと感にギャップ萌えできて良かったなあ。これから月組を観るときはあーさちゃんも観ようと思いました。


礼華はるチャン。。。
いや、まあ、みんな「誰?!」って感じですよね。101期生です。
母とそのお友達の皆さんでわいわい観劇だったんですけど、幕間で「ひとえちゃんにすんごい似てる子がいない?!!!」って話題になってパンフレットを熟読した結果、礼華はるチャンだと判明。
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まあ2幕は探した探したw
自分で言っちゃうけど、マジで顔が高校生の頃の私に瓜二つであるw
でも私と違ってお顔はちっちゃいし背が高くて(なんと公称178センチ!)手足が長いので、いつか日の目をみるときが来るといいなあと思ってこれからじんわりと応援しようと思いますw
配属は月組だそうだしこれからも観ることありそうだなあ。

そんな感じで月組は相変わらずの真咲帝国でした。
またモノマネの練習しようと思います。

レット・バトラーは現れないので。

言われるまですっかり忘れていたけれど、私は小学校の卒業文集の尊敬する人に「ジョセフィーン・マーチ(若草物語)とスカーレット・オハラ」と書いていたらしい。

「すごいよね、11歳にして非モテ極めてるよね!」
と、幼なじみ(新婚さん)に嬉々として報告された。
(イラっとしたので死ねっていうスタンプを30連打で送り返しておいた)

事実として、割と最近になるまで私はいわゆる強い女に憧れていた。
男に媚びない強い女という幻想に。
でも実際は、それなりに女を使える賢い女の方がずっと強いことには気付いていたけれど見ないふりをして今まできた。
だって私にはそんな風に生きることは出来ないと分かっていたから。

昔から愛想が無いとか気が強過ぎるとか言われてきた。
人に好かれようという態度をうまく取れないし、どうすれば好感を持ってもらえるのか昔からさっぱり分からなかった。
分からないものにはなりようがなくて、だから強く気高いあまりに敬意を持って愛されるジョーやスカーレットみたいになりたいなあと思っていた。
とはいえ、私はその二人みたいに極めて優れている部分がある人間ではないので、そんな人生が叶うはずもなく、じゃあ自分に最大限プライドを持って生きられるようにしたいなと思った。

そうしてたどり着いたのが、天上ウテナの「潔くカッコよく生きていこう」精神だった。
自分なりに潔くカッコよく生きることは楽だった。
自分が誇れる自分でさえあればよかったから。
気が強くて力持ちみたいな感じで自分を持っていて面倒見がよくて、そして男に媚びない自分っていう当時の私のことを私はとても好きだった。

だけど、それじゃ恋は叶わない。
普通の男の子は、ジョーよりもメグやエイミーが、スカーレットよりメラニーが好きだから。
単純な話だ。
そこで私がもっと賢く振る舞えていたら、くだらないプライドに重きをおかずにいられたら、良いことがあったかもしれないけれど、私は私を捨てられなかった。

一般社会に出たら私はその、カッコいい私のままではいられない。
あれが通用したのは私たちのリトルワールドたる隔離された世界だけだったから。
社会にとっての私なんて、何の強さも価値もない、ただの可愛げのない気の強い女にしか過ぎなかった。
そうして私は25をすぎてやっとこさ妥協を覚えて、女としてうまく立ち回ることを覚えた。
覚えたけれどもう手遅れだった。
そういう風に最近感じる。

強くあることと強く見せていることは違うし、強くあろうとすることがひどく疲れることも知っているけれど、自分のプライドのために頑張ることでしか自分を律することが出来ないという手癖がついてしまっていて、芯の部分が腑抜けてしまった私は何も頑張れないから、今の自分が好きじゃない。
うまく生きることができるようになったのは事実だし、それによって徳が出来るようになったことも事実だ。
だけど、自分のことが好きじゃないから、何も誇れないなあと思う。
こんなことならスカーレット・オハラになりたいまま、自分は自分のままでいつか出会えるかも分からないレット・バトラーでも待っていた方が良かったんじゃないかとすら思う。

丸くなったねとか、大人になったねとかいうことを最近よく言われるけれど、それは本当に良いことだったのだろうか。

あの頃エリザベートのことは知らなかったけれど、知っていたらきっと好きだといっていたと思う。
今の私にはとんでもないわがまま女としか思えないけれど、昔の私なら自分のテーマ曲に「私だけに」を選んだろうとも思う。
今の私は「私だけに」も「私が踊るとき」も似つかわしくない。
つまんねー女になったなあと思う。

私があの頃の私のことを嫌いじゃなかった男の子のことだけが今でも好きなのは、彼らがいつか私のレット・バトラーになってくれるんじゃないかと思っているからかもしれない。
こないだお世話になってる人に、「ひとえちゃんの無駄に崇高な魂にあの子が追いつくにはあと10年くらいかかる」って言われたけれど、そこで追いついてくれるなら本望だなあと思う。
あの子はみんなが思うよりずっといい子だと私は知っているけど、魂のレベルが低過ぎるっていうのもちょっと分かる(笑)
幼稚園児だったころ、両親が面談で園長先生に「あの子はどこかただの子どもではない強く光るものを持っているので、確かに普通の子とは大きく違ったところはあってご両親が気に病むのは分かりますが、普通になるよう矯正するような教育はなさらないでください」と言われたことがあると父から聞いた。
母親にはそこを矯正する方向で育てられたので、結局はどこにでもいる普通の人にしか育たなかったけれど、前述の「無駄に魂が崇高」っていう評価をきいたときにこのことを思い出した。
これ以外にも時々そういう風に言われることはあったけれど、結局私は平凡なひとりでしかないので、そこにどういう付加価値をつけて自分の納得できる自分に成れるかばかりいつも考えている気がする。
人に好かれるより認められるより、自分が自分を肯定したいだけなのだ。
私はエリザベートという人のことがあまり好きではないけれど、自己肯定>他者からの好評価という生き方をしているという意味では理解できる人かもしれない。
もう一度、「私だけに」を背負える女になるか、平凡に幸せな女になるために妥協をするか。
30になる前に決められたらいいなあと思う。

NOダメージのそのわけは。

先週いろいろとありまして、ふじがや担の割合が多めの私のTLはいつになく静か~で何だかとっても寂しい。
私はあまり「マジ恋」系の人と相性が良くないのでそういう層の人はそもそもフォローしていないはずなのに、それでも何だか静かである。
当の私は、「…あれ?これって結構な大事件なのもしかして???」とか思っているくらいのNOダメージっぷりで、そんな周囲についていけないコンプレックスが産まれ始めているので、本件に対して自分なりに自分の感情を考察してみた。


私は、自分のことを知りもしないテレビやステージの向こうの人間にマジ恋ができるという体質の方のことが理解できない。
どうせ誰か付き合ってる人はいるだろうし、自分には1ミリの可能性も無いし、何か出てきたときに傷つくのが目に見えているのに投資を続けていてすごいなあと思う。
テレビの向こうと擬似恋愛をすることで生活に潤いが持てるという側面は分からなくはないけれども。

そういう営業スタイル自体は「有り」だとは思う。
但しそれはリスクもとても大きく、そういう営業スタイルで売っている以上はタレント側も供給する商品に対して品質の維持をすることが義務だとも思う。
そういった考えから、今回のようなことが起きた場合タレント側もマジ恋勢も損しかなくてかわいそうだなあくらいの気持ちでいる。
夜にその情報がRTされ始めたときには「これでマジ恋勢死滅したらツアー楽だぞうぉおおおお」くらい思っていた。
いや、これは今も思ってる…

私の周りにはいわゆるドリ小的なマジ恋系の人はあんまりいないし、相手も相手なので、特に盛り上がりも無く終了だろうと予想していたのだが、意外にも非マジ恋層も滅する危険を感じ始めた。
マジ恋じゃなくてもつらい理由とはなんだろうと思って、そういった方々のツイートを見ると概ね「現実感の肯定」を嫌悪して現状に至っているように感じた。
本当はプライベートではそれなりにいろいろあるんだろうとは思っていたけど、という前提ありきで好きでいることと、これが現実として晒されることは大きく違う。
だから「キライになったわけじゃないけれど、今までみたいに可愛いorカッコいいとは思えない」という心境に至る。
今まで思い当たらなかったので気付かなかったのだが、なるほどこれは筋が通っているなあと感じた。
私自身はテレビの向こうの人は自分とは関係の無い人だと思っているので、その人が選んだ相手が自分の好みかどうかでタレントへの評価は正直変わるけれど、基本的にはどうでもいいと思っていたが、「少女マンガ脳でどこか現実感がないたぃぴちゃん」というキャラクターはとっても好きなので、現実感が出来ることによりそれが破壊されたことには確かにテンション下がるなあと、他人様の思いを見て初めて思った(遅い)

さて、では私は何故にNOダメージでここまできたのか結論を話そう。
簡単なことだ。
私が頭の中でかわいい~と思っているたぃぴちゃんという生き物は、もはやふじがやたいすけくんという人とは別物なのである。
私の頭の中のたぃぴちゃんはちょっと卑屈だしだいぶオネエがかってるし、何をしても大体可愛いし、何なら愛藤 陽希ちゃんという娘役トップスターだ。
もはや本人の面影の方が薄い。
私にとってジャニーズの子たちはあくまで趣味であって生きることではないので、関連事象をまじめに考えることは放棄している。
自分の頭の中のたぃぴちゃんにとって不都合な「ふじがやたいすけくん」からのアウトプットは黙殺するし握りつぶす。
これはアイドルをいわゆるアーティスト病にしてしまう最大の要因であるし、本当の姿なり現実からあまりにも目を反らし過ぎなファン活動ではあるが、こうやって生きるととにかく心の平穏は保たれる。そして楽だ。
趣味で苦労するのはもう嫌だ!と思ってジャニーズへやってきた私らしい結末である。

そんな感じなので、これからも私はあまり変わらずにたぃぴちゃんかわゆいむにゃむにゃと言って生きていくつもりだが、ひとつだけ言いたい。










どうせ共演者なら
桐  谷  美  玲  が  良  か  っ  た  !!!!!!!!!!



シニカレ厨からは以上です。






美玲ちゃんほどの人が相手にしてくれるとはとても思えないけれども、攪上の女優だし、大好きなドラマの相手役なので、ルリ子良かったねえゲヘヘとか言って生きていけたら楽しかったのになって……
ほら私、美男ですねすーーーーーーーーーーーーげーーーーーーキライだから…
何なら鈴木京香の方がテンション上がったと思う(極論)








花組 カリスタの海に抱かれて


遅ればせながらようやく観劇して参りました。

前回の大劇場公演はエリザ、りおりおプレお披露目はアーネストだったしで、2本立てもショー演目も久しぶりすぎて、お芝居のほうは1本モノじゃない短さを感じて消化不良になるんじゃないかと不安があったけれど、良い意味で簡潔な演目だったのでとても見やすかった。
カリスタはポスターとあらすじのイメージでもっと暗く重い感じを想定していたのだけど、みりおカルロが思いのほかペロいけど優秀なキャラクターで、ストーリーもテンポがよく、ネタの重さの割にすっきりとしていたのが良い。


アリシアのドレスのリボンを結ぶみりおカルロが結ぶシーンをとても楽しみにしていたのだが、見て思った。相変わらずリボン結びがド下手くそでふへへと笑ってしまった。
前から気になってたんだけど、たぶんみりおちゃん蝶々結び苦手。
このシーンで花乃アリシアが「こうやってパリの貴婦人たちのドレスを着せたり脱がせたりしてたんだろ?」みたいなことを言うが、
あ の D T に よ く そ ん な こ と 言 え た な !!!!!
みりちゃまはス゛ッDTだょ。。。
カリスタはもっとラブロマンス感のある話かと思っていたら意外にもりおりおキスシーンは1回しかないし、そんなにイチャイチャもしてなくて、いやもうマジみりおちゃんのDTぶりどんだけだよ…と頭を抱えたのであった…

見所はなんといっても、トップ・2番手・3番手揃い踏みの一曲。
とにかくカッコ良かった。
あんなのがあるなんて聞いてなかった!!!
誰か教えてくれろよ!!!!!!!
私のTLにはみり花魁の話ばかり流れてるから何も知らなかったぞ!!!w

蘭とむさん退団&みりおちゃんトップで劇的に若返った花組からさらに花男そのもののだいもんと「世界の彼氏」みつるさん華形ひかる氏が去り…ぺろぺろ集団になっちゃうのではないかと大変心配していたのですが、杞憂でした。
若さゆえの荒削り感は否めないけれど、大人の余裕が無い分だけ上昇志向の覇気があって、これはこれでいいなあと思う。
かれいちゃんの推せ推せぶりに負けじとキキちゃんが頑張ってるなあと感心。
でも残念ながらキキちゃんは私の好みではないという…
みりおちゃんも立場が人を作るというのがよく分かる成長ぶりで、おお!トップさんだ!と迫力が感じられた。
みりおちゃんってものすごく華はあるけど、清顕さんとかショーブランくらい狂気の沙汰キャラじゃないと迫力がないのが弱点だなあと常々思っていたのでそういう役柄ではないぺろぺろカルロでもああいうキメが出来るところには感動した。

さて娘役の話を。
今回が花乃ちゃんの大劇場お披露目だったわけですけど、良くも悪くも及第点ぴったりだなあと感じた。
どれもそれなりで、悪くないんだけど特出する点もなく。
そもそも声がちょっとアニメ声なので、私の好みということと特別ダメダメ歌唱でもないことは本当に出来た嫁だと思うのだけれど、トップ娘役というポジションは全てが均等にそれなりな人よりもどこかが特出してる人の方が魅力的なのかもとは思った。
お顔も可愛いし、スタイルも悪くはないし、歌もダンスもそこそこというまさに及第点ガールなんだなあ。
そのおかげで今更ではあるけれど、蘭乃はなというダンサーが如何に凄かったかも感じたのであった…
みりおちゃんの相手役にそこまでのダンススキルが要るかというと、無用の長物だとは思うが。
そういう意味では蘭ぱなさんも最後がみりおちゃん相手というのはちょっと見せ場を失ったかもねえ。

劇中での対比が面白かったのが、花乃アリシアと仙名イザベラ。
カルロに思いを寄せる二人の女が真逆の育ち方・ビジュアルで、そしてどちらも愛いキャラクターだったのが良かった。
ゆきちゃんにはもっと出番と歌割をください(モンペ)。
一花ちゃんきらりちゃんが去ったあとの花娘のキーマンはゆきちゃんだと信じているので、これからも良い役がつくといいなあと願いつつ。
今回は専科から美穂 圭子さんがご出演されていて、美穂さん大好きな私としてはとーーーーーーーっても嬉しかった!
美穂さんの歌に3万円くらいお支払したい。
ぺろぺろカルロ主演の演目がここまで締まったのはひとえに美穂さん演じるアニータの迫力のおかげだろうなと思う。
一花ちゃんが退団していなかったら一花ちゃんがやったのだろうなという役柄だったので、個人的には哀しくもあったけれど…
美穂さんは演技も歌もビジュアルも圧倒的で、ああ何て素晴らしい方なのだろうと改めて惚れ惚れしてしまった。
花乃ちゃんが何かで「美穂さんから沢山のことを学ばせていただいている」と言っていたので、それがこれから花開くといいなあと思いつつ、どちらかといえば仙名彩世ちゃんに美穂さんみたいになるべくしかと見ていていただきたいとか思っていた。
ゆきちゃん………好き………


宝塚幻想曲についてはまた明日・・・(書きつかれた)

竹組公演 TAKE FIVE(トップ娘役お披露目公演)

可愛い可愛いたいぴちゃんこと藤ケ谷くんこと愛藤 陽希さんトップ娘役就任おめでとう公演。

という戯言を千秋楽後も言い続けて生きていきたい。




さて、5/17夜公演に行ってまいりましたので、そのことを。
(1回のみなのでネタバレになるような内容は覚えておらず…)

ストーリーとしては、もっと面白く出来そうな設定はたくさんあるのに活かしきれていないのが勿体ないなあという点が多々、だった。
「過去を変えたらどこの歴史が変わるか」っていう一番のキーポイントに関しては、ワクワクしたり驚きもあったりで良かったと思うが、帆村 守くんが過去に戻って歴史を変えにいかなければならない根拠にしか使われなかった設定はもっと美味しく調理できる気がするので勿体無いなあと。
はぶみさんも仰っていたが、TAKE FIVEの冠をかぶせない舞台でも良かったのではないかなあとは私も感じた。
シーンごとに切って考えればこのシーンではこれを見せたいというのはハッキリしていたし、テンポもよく、演者それぞれのキメ撃ちもうまく散りばめられていて良かった。
話の展開が無理すぎるというわけではなかったのだが、設定は盛り盛りなのに伏線足りなすぎませんかね???と思わず頭がハテナだらけになる唐突な事実は正直あった。
辻褄は合うから不可能ではないし有り得なくはないけど、複線が足りないので納得感が薄いというか。


今回の舞台が発表されたときに大画面LEDでの映像と舞台のコラボレーションに挑戦するというような触れ込みがあったので、どんな形になるだろうと思っていたのだが、転換などの隙間の時間を映像で埋めている感じが強く、その点に関していえば去年の北山くん出演の「愛唄」のLED画面によって場所の違いをうまく使い分けた演出の方が少なくとも「うまく使っている」感はあったように思った。
舞台に映像を入れ込むというのは、面白い反面、実際の映像があることでステージ上が少しチープに見えてしまう弊害もあるのだなあと今回学んだ。
舞台というのは具体的であればあるほど良いわけではないのだなあ。
この演出の部分で、日ごろテレビドラマを作っている人が作った舞台だなあと悪い意味で感じた。

映像の使い方という点はちょっと期待ハズレだったが、別撮りの映像(の蘭寿さん)はとてつもなくカッコ良かった。
公演後しばらく「まゆ~かっこいいよまゆ~」状態になり、家帰ってからとりあえず花組オーシャンズ11見た。
開演直後は、「ぅゎぁ…っ!!!女の人や…!!」って衝撃を受けたのだが、帰ってからダニーを見たら、そんなに変わってなかった。
あれれ?
女の人だって思ったの、気のせい???


ストーリーや演出はもう一歩だったけれど、演者はどの人をとってもとても良かったと思う。
実は私はその昔、山本裕典の結構熱心なファンだったのだが、久しぶりに生で見てあまりの成長ぶりに度肝を抜かれた。
いつまでも可愛いだけのモンチッチだと思ってた…ごめんな…。

狂言回しのゆーてんと駿河さんが全体のテンポを上げる大役を果たしたおかげで、見せ場以外のシーンのテンポ感がとても良かったと思う。
この舞台はクローズアップして見せたい部分へのこだわりが強い分、なかなか話が進まない感があるというのがネックなので、そのシーン以外をこの二人でうまく回していたことは良かったと思う。


さて、トップコンビについて。
(トップコンビと呼ぶことにあまりにも抵抗がなくて自分でちょっと引いた)
蘭蘭コンビ改め蘭藤コンビですね!!!!

いやーーーーーー美しかった。
とりあえず見た目が美しかった。

たぃぴちゃんは男の子なのに華奢で仕草がお上品なので、蘭とむさんのガタイと威勢のいい強めでお色気むんむんの女医さん兼泥棒さんとの相性がとっても良かった。
たぃぴちゃんトップ娘役就任おめでとう(号泣)


帆村守くんは性悪でズケズケ言うし成り上がり志向だけどおっちょこちょいででもやる時はやるし本当は優しさもあるという役どころなので、見ているうちに段々と「おや?スカーレット・オハラかな???」と思えてしまって、頭の中で♪ニュージェネレショーン♪ニュージェネレショーン♪が流れ始めたりした。
「妄想が激しくて…」と顎クイされているシーンなんて、もうバトラー船長とスカーレット以外の何でもなかった。眼福。
もうひとりのスカーレットは寺西かな……

去年のコルトガバメンツは劇場も小さく役柄も引きこもりで、クライマックスシーン以外は全体的に空々しい空気の声色だったが、今年は劇場も大きくなり、役柄も随分と威勢のいいキャンキャン娘になったので、発声からして全く違ったなあと思う。
かつて滝沢くんの元で帝劇や新橋演舞場に出演していたときともまた違ったので、きっとあの首席入学首席卒業の全知全能の神・蘭寿さんから今回学んだこともあったのだろうと勝手に思っている。

舞台人・藤ケ谷くんのことが私は好きだが、①発声の弱さ②姿勢の悪さの2点は以前からもうちょっとどうにかならないかなあと実は思っていたので、この二つが劇的に変わったように思えて、本当に嬉しかった。
元プロ ジャニーズJr.の彼だから、尊敬できる人の姿を見て真似て自分のものにするというメソッドが合っているのだろうと思う。
そういう意味でも蘭寿さんという素晴らしい舞台人の方と共演できた今回の舞台はありがたい機会だと思うし、出来ればもっと長い期間いっしょにやってほしいなあと思う。
蘭寿さんが舞台人の鑑としていかに素晴らしいかというのは、現花組生を見ているとしみじみ感じるし、みりおちゃんの変化を見ていても感じるので、そういう方と共演できて良かったと思う。

パンフレットの二人の対談を読むと、たぃぴちゃんが蘭寿さんとの共演を通して宝塚のカッコよさや美学みたいなものに興味と自分との親和性とを感じているように思ったので、ぜひこれを機にマリウスと観劇にでも行っていただきたい。

藤ケ谷くんというのは良い意味でとてもマネッコ上手な人で、自分もできそうなものに近づいて真似して自分流に取り込んで個性にすることが出来る人なので、この「×宝塚」という邂逅がこれからどう作用していくか、とても楽しみだ。


今回の舞台に対して、私は舞台そのものというよりは「たぃぴちゃんmeets宝塚」の機会へチケット代を払った気でいるが、とにもかくにもカーテンコールの蘭寿とむ大先生が膝折りで礼をすることと竹組トップ娘役のたぃぴちゃんがブリッコ芸炸裂で膝折り礼してくれたことには追加であと3万円くらいお支払したい。
カーテンコールで娘役を始めてからというもの毎回やっていたり、1公演で複数回やっていることもあるそうなので、それを嬉々としてやっちゃう27歳男性のたぃぴちゃん可愛過ぎると思う。
ジェンダーふらふら男子だねえ。
好きだ~~~~~~~~~



かねてより、藤ケ谷くんというかたぃぴちゃんには愛藤 陽希さんという芸名を勝手につけ、入団後に娘役に転向して紆余曲折の果てにトップ娘役になって相手役の方と添い遂げ退団してほしいという妄想をし続けてきたので、そのくだらない妄想が半分くらい叶ってしまった今、正直ちょっと燃え尽き症候群になっている。
何か次のたぃぴちゃんの叶わなそうな夢を見つけなければ…

ちなみに愛藤 陽希さんの由来は、ちょうどこれを決めたくらいの頃にたぃぴちゃんが「おれは愛のないやつがキライ」みたいなことを言っていたところから「愛」と名字から「藤」、太輔の太は太陽らしいのでそこから「陽」をとってつけた名前なのですが、ぶりっこネームのくせに可愛げが無いところと月組生っぽいところが気に入っている。
ので、今後も積極的に使っていきたい。
さらに余談ですがマリちゃんにも龍 ゆり葉という名前をつけて応援している。


舞台自体はちょっといまひとつでしたが、とてもいい出会いと成長を感じられたので、次に期待ということで、TAKE FIVEのことは良き礎だったと結論付けることにしました。
来年も舞台あるといいなあ。
本人は帝劇のジャニ舞台に出たいそうなので、来年はドリボ以外の演目で帝劇に行けますようにと願いながら終わりとします。

小悪魔agehaという生き方


以前、Instagramtwitter能町みね子さんの「雑誌の人格」という本が面白いという話をしたことがある。
私は雑誌の持つキャラクターというものに注意して雑誌を選ぶ方なので「雑誌の人格」にはとても楽しませてもらった。

学生時代には雑誌の編集部って楽しそう☆と夢を見るようなファッション誌好きだが、実を言うと現在は何の雑誌も講読していない。
「雑誌の人格」でいうところのどの人格になっていいか分からなくなってしまったからだ。
企画内容に惹かれてその号だけ買うということはあっても、購読してその文化圏の人間になるならどの雑誌がいいのかという選択ができないまま数年が経っている。

日経WOMENは楽しいといえば楽しいが、ちょっと超人みたいなOLさんが多くてついていけないし、そこまで仕事人間になりたくもないし、意識の高そうな趣味もない…そしてみんな高収入なのに使った自慢ではなく貯めた自慢なのでおそらく気が合わない。なんならちょっとケチが過ぎると思っている。
MORE・with・InRedみたいなOLさん御用達の雑誌はイイコ過ぎて載っている服がつまらないし、Ginaや美人百花のファッションはちょっと値段が張ってて、ジャンクフード大好き!安くて可愛い今年の流行服を1年で使い倒したい!という百円均一的な思考の私には合わない。
そして何が合わないって、withや!MOREも!Ginaや!美人百花も!モデルの生まれ持った美しさ頼みのメイクしかしないからブスには何の参考にもならないんだよ!!!!!!

というところに、懐かしの小悪魔agehaが帰ってきた!!!!!!!

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時の流れとは非常なもので、いつのまにやらモデルたちも年齢を重ね、もはや立派なアラサー雑誌と化してはいたものの、相変わらずのキャッチの破壊力。
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すっぴん風なんて生まれつき美人がすればいい
私たちはちょっと濃いめのアイメイク!!!
天才かよ。

とはいえ、めでたく小悪魔agehaが復刊しても、一時期のように覇権を持つことはもう出来ないであろうことは自明だ。
昔のことはあまり深く知らないが、ボディコンのお姉さん@六本木→アムラー→コギャル→age嬢っていう強そうな女という流れの文化はこれにて途切れるのだろう。
この強そうな女カテゴリは一過性の「この時期だけ許される」という要素が強かったように感じる。
あれは刹那的な「女としての無双状態」の表現だったのかもしれない。
良い悪いはそれぞれあるが、アラウンド20という季節は強い女にも弱い女にもなれるし、大人ぶることも子どもの武器を使うことも出来る、最初で最後の季節だったと思う。
私はきっとそういう意味で無双モードの自分を表すためのage嬢という武装を好んでいた。

最近の子は、私たちなんかよりずっと賢いと思う。
自分たちの今しかない価値を知っている。
モラトリアムを楽しむのではなく、価値が高い今を有効活用しているように思う。
社会で強く生きてる女よりもずっと強いのは、したたかに役目を果たせる女だ。


復刊号に掲載されていた、かつてのageha編集部の面々の現在で、雑誌「LARME」の編集に携わっているスタッフが多かったところに、妙に納得した。
agehaが世間に認知されていたころ、あのファッションをみんながしていたかというとそうではなかった。
一部の自己顕示欲の塊の女たちが自分を強そうに見せるためにあの武装をしていて、それが一般的にその層の文化として認知されていたというのが近いと思う。
あの頃のage嬢たちが、(具体的職業の貴賎を問う意見については割愛)一生懸命働いて稼いでブランドもの買いたい!いい暮らししたい!みたいなIndependent Woman感のある思想だったのに対して、LARMEの読者層はお人形さんになりたいという成り上がりの発想はないIndependent Womanとは逆のベクトルの考え方をファッションで表現しているような気がする。

どちらも現代の女の生き方だと思うし、好きに選べばいいと思うけれど、90年代からのウーマリブの時代からいま再びパラダイムシフトが起きているんだなあと思う。
転勤あり総合職で男社会で働いていて感じるのは、どんなに頑張っても越えられない一線だもの。
じゃあ頑張ったって無駄じゃんと思って賢くしたたかに生きる選択肢をとることも正解だと思う。
今の会社は女性進出に対して優しい。
けれども上り詰めることは不可能だろうということは強く感じる。
それすら跳ね除けて頑張りたい人のことは止めないし頑張ってほしいなと思うけれど、私はそこまで頑張りたくはない。
別に仕事のために生きていないから(笑)

age嬢と呼ばれた女性たちは多くが水商売に従事していた。
若くして稼げる仕事だ。その代わり一生は出来ない。
彼女たちの多くが30手前で結婚して家庭に入っていることを見ると、稼げるうちに稼いで欲望を満たして、その後は家庭をしっかり守るというのを実践するとこうなるのだなと思う。
それがいわゆる普通の昼職でも出来たらいいのになあと私なんかは思う。
総合職の女性社員なんて、一番不明確な立場なのではないかとも。


随分と話が飛躍したが、私は男も女もイケイケオラオラ時代の残滓として、これからも無駄に強そうに去勢を張って「俺は強ぇ!」とジャンプの主人公のように思い込んで生きていきたいので、実用価値ゼロの小悪魔agehaをこれからも愛していきたいなあと思う。

私が自分の生き方で大切にしている言葉のひとつは少女革命ウテナの「潔くカッコよく生きていこう」である。
小悪魔agehaの提唱する生き方は潔くてカッコいいと思う。
私はしたたかな強さよりも、潔く自分に素直に生きていきたい。
人から見て幸せじゃなかったとしても。

塩浴はじめました。

 3月末から突然、頭皮が昼くらいからベタベタベタベタしてものすっっっっっごく不快感を与えてくるようになってしまった私・・・

いろいろためして塩浴でようやく症状が落ち着いたので、ご参考までに書いておきます。

 

さてさて、塩浴ってなんなのかというと、飽和食塩水をかぶって浸透圧で悪いものを出しちゃおうぜ!っていう美容法?です。

粗塩か何かの安い塩を溶けなくなるまで溶かした飽和食塩水で頭皮や表皮を洗い流した後にお風呂に浸かって温まると老廃物や毛穴のつまりが出てくるそうで、おかげさまで前述の症状が治まりました。

どうやら原因は、会社オフィスのすさまじい乾燥に耐えきれず頭皮がそれに抗って頑張って皮脂を出しまくっていたことにあるよう…

気になりだしてからガシガシとその皮脂を流そう流そうとしてシャンプーしていたのが余計に悪かったみたいです。

 

塩浴の詳しいやり方は詳しいサイトがたくさんあるのでご自分でお調べいただくとして、実は頭皮よりも顔に効果があったのがびっくりでした。

私は顔がまあまあひどめにアトピーですが、思い切って顔も塩浴にしてみたら荒れがきれいに治まって、それだけではなくなんだか肌が強くなったみたいで、お風呂上りのもちもちのままずっといられるようになりました。

昔、親が全身ひどめの小児アトピーの私のためにやっていた海水浴療法に少し似てるのかなあという気もしていますがどうなんだろう。

乾燥肌が過ぎて毛穴はほとんど目立たないきめ細か肌ではあるので、表面の赤みがないとまるで美肌の人のようなので、自分的にはとっても気に入っています。うひひ。

 

私の塩浴の仕方は、髪を丁寧にブラッシングしてからお風呂に入る→頭皮全体に塩水をなじませて頭皮マッサージ→髪の毛をくくって漬け置きしておく間に目に入らないように気を付けながら顔にも塩水をとろりん→擦らないように注意しながら全身を塩水で流してあったまる→頭から全身の塩水を洗い流して、冷水で仕上げシャワーを浴びて出る、という流れです。

体験談なんかを読むと、全身に塩水をかけると、出てきた老廃物で段々手触りがぬるぬるになってくるというのをよく見るのですが、私もともと代謝はいい方なのでそこまでの目を見張る効果はなかったです。

岩盤浴なんかでも汗はかくし肌はきれいになるけどベタつく汗なんかは出ないので体質なのかなあ。

 

塩水を作るときは、ビオレのメイクとろけるリキッドの空き容器に半分くらい塩を入れたものに熱湯を注いで作ってます。

こうすると浴びやすくて、洗面器でつくるより塩も少なくて済むので(笑)

ドレッシングの空き容器を再利用してる人も多いみたいですねー。

 

まだ2週間くらいなので効果がどこまで続くかは謎ですが、春先の顔の肌荒れヒドい族の私がこんなに肌ツヤよく過ごせてるのは奇跡的な効果だと思うので書いてみました。

また変化があったら書きます。